2010年02月01日
国枝慎吾選手その2
全豪はフェデラーが取りましたね
圧勝でしたね(o^∇^o)ノ
昨日国枝選手のことを書いて、もっと調べたいと思ったので、今日も調べましたw
「9歳の時、脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となる。
母親の薦めで小学校6年生の時に吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始める。
麗澤高校に進学し、高校1年生のときに初めての海外遠征を経験。
17歳から現在のコーチである丸山弘道の指導を受け始め、本格的に競技に取り組む。
2004 年、アテネパラリンピックに出場し、斎田と組んだダブルスで金メダルを獲得した。
2006 年、フェスピックで金メダルを獲得。同年10月、初の世界ランキング1位となった。
2007 年、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラム(4大大会制覇)(全豪オープン、ジャパンオープン、全英オープン、全米オープン)を達成。国際テニス連盟(ITF)が選出する同年のITF世界チャンピオンに選出された。
2008 年、北京パラリンピックに出場し、男子シングルスで金メダル、斎田と組んだダブルスでは銅メダルを獲得。同年 12月、麗澤大学を退職。」
(Wikipedia より引用)
高校のときに海外遠征をするとは、その頃から活躍してたんでしょうね
今となってはグランドスラムをほとんど総なめにしてますねw
これは石川遼、中村俊介などよりすごいことなのです
彼らは日本一ですが、国枝選手は世界一なのです。(もちろん日本一でもすごいと思いますがw)
なのに、みんなが知ってるのは石川遼などで、国枝選手はあまり知られてないのです。><
これは何の差でしょう。
車いすテニスだから?
車いすテニスだって、しっかりとしたスポーツなのですからそれはしっかりみなさんに認めてほしいと思います。
あまりにも注目されなさすぎだと思います。
圧勝でしたね(o^∇^o)ノ
昨日国枝選手のことを書いて、もっと調べたいと思ったので、今日も調べましたw
「9歳の時、脊髄腫瘍による下半身麻痺のため車いすの生活となる。
母親の薦めで小学校6年生の時に吉田記念テニス研修センターで車いすテニスを始める。
麗澤高校に進学し、高校1年生のときに初めての海外遠征を経験。
17歳から現在のコーチである丸山弘道の指導を受け始め、本格的に競技に取り組む。
2004 年、アテネパラリンピックに出場し、斎田と組んだダブルスで金メダルを獲得した。
2006 年、フェスピックで金メダルを獲得。同年10月、初の世界ランキング1位となった。
2007 年、史上初となる車いすテニス男子シングルスのグランドスラム(4大大会制覇)(全豪オープン、ジャパンオープン、全英オープン、全米オープン)を達成。国際テニス連盟(ITF)が選出する同年のITF世界チャンピオンに選出された。
2008 年、北京パラリンピックに出場し、男子シングルスで金メダル、斎田と組んだダブルスでは銅メダルを獲得。同年 12月、麗澤大学を退職。」
(Wikipedia より引用)
高校のときに海外遠征をするとは、その頃から活躍してたんでしょうね
今となってはグランドスラムをほとんど総なめにしてますねw
これは石川遼、中村俊介などよりすごいことなのです
彼らは日本一ですが、国枝選手は世界一なのです。(もちろん日本一でもすごいと思いますがw)
なのに、みんなが知ってるのは石川遼などで、国枝選手はあまり知られてないのです。><
これは何の差でしょう。
車いすテニスだから?
車いすテニスだって、しっかりとしたスポーツなのですからそれはしっかりみなさんに認めてほしいと思います。
あまりにも注目されなさすぎだと思います。
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